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原爆の日 [広島]

被爆から64年。

毎年何らかの形で被爆の日に関するコンサートに出演させていただいていましたが、今年は体調により断念しました。

母が幼い頃に長崎で被爆しており、その娘である私は被爆二世ということになります。
小学校時代を長崎で過ごした私は平和教育を受けており、夏休みも毎年被爆の日が登校日となっていました。
平和教育の一環で訪れた原爆資料館。
当時は今のようなモダンな建物ではなく、展示物も原爆投下時の生々しさを伝える物ばかりで、夜になるとその光景を思い出し、怖くて眠れなかった記憶があります。

被爆から64年が経ち、被爆者の高齢化が進む今、被爆二世である自分がもっと自覚を持たなければ・・・と思います。

テレビ番組でお婆さんの被爆証言を初めて聞いたという女の子がこう感想を語っていました。
「64年前に自分が生まれて過ごしていなくて良かった」と。

子供の正直な感想でしょうね。
惨状を聞かされ、ショックで、もし自分がその場にいたら・・・と思ったのでしょう。

当時の方々の悲しみ、辛さ、苦しさ・・・そしてその後の頑張りと気が遠くなるような努力。
そのお陰で今の平和や豊かな街があることを忘れてはなりません。

昨晩「原爆孤老」の番組を見ました。
どこから出た言葉か知りませんが、私はこの「孤老」という言葉に抵抗を感じました。
文字通りまさに「孤独な老人」という意味で使われておりましたが、わざわざそんな哀しい響きのある言葉を使うのは一種差別のような気がして嫌な気分になりました。

被爆のために就職、結婚などで差別を受けて、今でも被爆者手帳を持っていることに対して差別を受けることがあるそうです。
被爆によって身内を失ったり、職を失ったり、住む場所も健康も・・・数々の悲しい出来事があったにも関わらず、その上に云われない差別を受けて、辛い思いから逃げるために被爆者ということを隠し・・・それでも60年以上経った今でも差別に苦しめられる・・・そう訴える多くの被爆者の方々。

普通の人では想像すら出来ない状況に置かれていた方々にもっと優しく暖かい目を向けてあげられないものか、と憤りを感じました。
被害者である被爆者をいじめるようなことはやめて欲しい。なりたくて被爆者になった方など1人もいらっしゃらないのだから・・・

3日後に長崎も被爆64年を迎えます。
今の平和のありがたさを再認識して、感謝しなければなりません。

9日もまた原爆で亡くなった多くの方々に祈りを捧げようと思います。







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ガルボ・スノー

年々本来の意味を履き違え 変なイベント化しているように思うのは、私だけでしょうか?
by ガルボ・スノー (2009-08-06 22:24) 

ガルボ・アルト

そう。その変なイベントに関しては私もおかしいと思っています。
月日が流れ、実際に被爆した方々がいらっしゃらなくなったら、ただ原爆が落ちたという事実だけが残って、そのための式典などが変化してくるのかもしれませんね。
そうならないためにももっともっと多くの人が被爆証言を聴いたり当時の写真を見たりするべきだと思います。

by ガルボ・アルト (2009-08-06 22:39) 

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